金山杉とともに、金山町森林組合

金山町の林業の歴史

大美輪の大杉から見る林業の歴史

 

 金山林業の現在の姿は、明治後期以来の植林にはじまるとされているが、その礎は藩政時代(新庄藩)にまで遡ることができ、記録によれば、既に宝暦年間(1751年〜1763年)に山奉行を中心とした山林の経営及び管理体系が形成されていたと思われる。
 新庄藩では、原則的には藩有地になっている一般草地とか雑木が自生している平山を借り受け、そこに苗木などを植える制度があり「御判紙場」あるいは「御判紙林」と呼んだ
 金山林業のシンボルである大美輪の大杉(金山町大字有屋字大美輪地内現存、岸三郎兵衞氏所有)は樹齢280年〜240年くらいであり宝暦、明和(1764年〜1771年)年間(八代将軍徳川吉宗及び九代将軍徳川家重の時代)に植林したものと推測される。
 明治9年以降、林野の官民区が行われ、金山町ではおおよそ80%は官有に帰したと見られる。その後、明治32年、国有林野特別経営事業の開始に伴う不要存置林野の払い下げが行われ、一般町民の植林熱を醸成させるとともに金山林業の基礎が確立されることになる。
 現在の金山林業は、東京大学の峰一三博士によって紹介された「一町歩当たり一万石という杉林(昭和36年に伐採)」に代表されるとともに「長伐期大径木生産を目標とした粗放林業」として特徴付けられるが、昭和56年に伐期を80年以上とする「金山杉育林技術体系」を確立している。
  大美輪の大杉は、面積にして0.7ha、本数にして200本余りの小林分(昭和20年10月調査した結果は本数241本、蓄積5.750石であった)ではあるが、「金山杉育林技術体系」の拠所さらには精神として、静寂の中に金山林業の歴史を刻み続けている。

 

※金山町森林組合 青年部作成「大美輪の大杉」より抜粋。


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